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左) 自動車部品を中心に幅広いデザインを手掛ける有限会社D-WEBER (本社:愛知県安城市) 代表取締役:水野 健一氏
右) 愛知県安城市で70年続くパイプ加工メーカー キムラ工業有限会社 三代目代表取締役:木村忠嗣
2019年9月のこと。水野氏と木村の出会いは安城市商工課主催の「第1回 安城ものづくりネット」 でのこと。愛知県三河エリアには自動車関連を中心とした中小町工場がひしめき合う。その歴史は 三代目・四代目と受け継がれているものの、少子化や成り手の不足そしてコストの冷え込みから、 海外生産へシフトせざるを得ない状況に飲み込まれていた。海外へ生産拠点を持つことができない企業は、 特異な技術を持っているか、真似のできないオリジナリティを持っていなければ存続が厳しい状況下である ことは容易に想像できた。それをブレイクスルーしようとする市政の一つの取り組みが「安城ものづくりネット」であった。地元にこれだけのものづくりメーカーがあれば半径数キロで何かを生みだせるはず。それによる雇用の拡充や転入者の増大に繋がり、市の発展を支えるべき大きな存在の一つは中小企業だという考えからだ。ものづくりに携わる人達のモチベーションを上げて欲しいという気持ちが根っ子にはあるのを感じた。
「特殊な技術を追い求めるのではなく、手持ちの技術を最大限に活かした実現可能な商品を作ること。」を念頭にプロジェクトはスタートした。それは特色を出したいがあまりに無意味な設備投資や使い慣れない加工機に振り回されては本末転倒だという思いから水野氏が掲げた骨子である。今のキムラ工業という会社の実力を示し、皆に知ってもらえる商品でなければ意味がないからだ。もちろん充分に技術を持っていると確信したからでもある。今できるものを全力で作ってみよう。 作品には、「回生(Re Birth)」と「反転(reverse)」の両方の意味を持たせ「リバース」と名付けた。スタート当時の中小企業の実態は決して明るいものでは無い。生まれ変わることが必要だという決意と、コスト競争で海外へ仕事が奪われ続けることを回避するためには 下請けだけからの脱却が必要だと考えた。下請けからメーカーへの転換(反転)である。狙うは「下請けとメーカーの二面性」流行る店には理由があるように、選択肢など無いくらい仕事を頼みたい会社になることが重要なのだ。 デザイン会社を営む水野氏も業態こそ違うが同じ中小企業主である。こうして「なぜ作るのか」「なんのために作るのか」「生き抜くために作るのだ」という意識を共有し、作品のコンセプトに繋がった。
シンプルながらも圧倒的な個性を放つ座面 「ピアノブラック + ルージュ」
ルージュをイメージした斬新なカラー 「ピアノブラック + ルージュ」
主役はパイプ加工と圧倒的デザイン性 「ピアノブラック + ルージュ」
バフ研磨の鈍い光沢とヒノキのコントラストが目をひきます。 「バフクリア+ヒノキ」
バフクリア+ヒノキの背面 「バフクリア+ヒノキ」
異なる表面処理でまったく違う顔を持たせました。
固さと柔らかさが交じり合う魅惑のデザイン
「新しいことはやっていない。全てを出し切って取り組んだだけだ。」 パイプ椅子と聞くと多くの方は学校や講堂などで見かける折り畳みのパイプ椅子を思い浮かべるだろう。そしてパイプ部分の印象はとても薄いのでは無いだろうか。機能的でコンパクトに畳めて誰が座っても不満は無い。そしと同様に愛着もないだろう。 リバースはそんな部分を全て払拭するところに着眼点を置いた。便利さを追求しない。汎用性を追求しない。万人受けである必要がない。見せたいのはパイプ加工技術そのものなのだから。 普段は主役の座面素材。「そいつらを全てパイプの中に閉じ込めてやろう」「俺(パイプ)が主役だ」と言わんばかりのパイプ感むき出しの風貌はキムラ工業70年の歴史を物語る。手仕事による美しい曲げと溶接技術に裏付けられたテクニックあってこそ。水野氏がデザインした一見無茶な造形を見事に再現している。 座面素材達はパイプの中から現れたかのようにデザインしている。まるで竹から生まれたかぐや姫のようであり「誕生する」という意味も込められている。切り口は三次元レーザーカットを施してある。木村の小学校からの友人技術屋が快く引き受けてくれた。座面など別ピース部分は3次元加工機で削り出して製作をしおり、樹脂部分は美しい塗装も施されている。これら全て地元安城市の中小企業の手によるものだ。 コンセプトモデルには天然目のヒノキを使用しており大変高価なのだが、本物嗜好のコレクターにも満足いただける仕上がりとなっている。 ピアノブラックは「コスメ」をイメージしており、まるで口紅を斜めに切ったかのような艶やかな佇まいが特徴的だ。
【 図らずして新型コロナの最中に発表 】
2019年(令和1年)9月からスタートしたプロジェクトで3月発表を見込んで取り込んでいた。その頃の日本はとてもプロジェクトを継続できるような状況では無くなっていた。水野も木村も「まずは会社の存続を優先するべき」と判断し、プロジェクトは一時中断をしていた。水野のデザイン会社は約2か月間リモートワークを、木村は機材の見直しや5Sの取り組みなど将来必ず会社の為になると信じることを取り組んでいた。日本全体が出口の見えない不安を抱えていた中で、木村は空いた時間を利用して黙々とリバースの試作を続けていたのである。そして6月になったある日 水野から木村へ一通のメールを送った。「僕らにとってツライ時代になりましたが、僕ら中小にとってはこれが初めてではないはずです。リーマンも東日本も乗り越えてきました。今できることは“我ここにあり”と発信して元気を届けることではないでしょうか。」 それに対して木村の返信が「その通りです。実は自粛中に黙々とリバースの試作を続けていました。是非これを世に出しましょう。」そこからプロジェクトが回生したのです。 図らずして新型コロナの最中に発表することになった「リバース」というメッセージを多くの方に見て頂けたらと願います。
※意匠所有権はD-WEBER
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